松 森 胤 保


文政8年1825〜明治25年1892。庄内藩士長坂市右衛門の長子として生まれる。致道館に学びながら、宝蔵院流槍術、大坪流馬術を習得。文久2年1862年2百石の家督を継ぐ。同年支藩の松山藩の付家老として出向す。戊辰戦争時は藩の軍務総裁、本藩の参謀を兼ねたなどをし、各地に転戦する。松山藩主より、松守のせいを給うも辞して松森としたと云う。明治2年区長、旧藩校の松山里仁館の大教授を兼ねる。12年に鶴岡に帰り、14年に県会議員に選ばれる。18年に引退し、動植物から物理、科学、工学、歴史、考古学と幅広く研究し更に飛行機をも考案したという。著書700冊に及ぶといわれている博学者である。有名図書に「両羽博物図譜」、「北征記事」、「物理新論」等がある。